「越後の川が紡ぐヒトとサカナの物語Vol.2」新潟県 阿賀野川漁業協同組合

2022/07/13

ヒトとサカナが往来する大河

明治時代、阿賀野川(あがのがわ)を船旅した英国人の旅行家がいる。阿賀野川は欧州の名川として名高いライン川より美しいと評したイザベラ・バード氏だ。その名は阿賀野川の美しさを伝える遊覧船の船名となって新緑の葉を映す川面に航跡描いている。阿賀野川は栃木県と福島県との県境にある荒海山(あらかいざん)を源流として、上流の福島では阿賀川と呼ばれ、新潟に入ると阿賀野川と名を変える。古くから海と山を結ぶ重要な交易路となっていた。また、日本海から遡上してくるサケ漁も盛んで、海の恵みと山の恵みが行き交い、「ヒトとサカナ」が往来する「賑やかな河川」だった。

「私が中学生のころは、阿賀野川に帆掛け船がまだ行き交っていたよ。川沿いを通る国道はまだ砂利道だったから船で運んだ方が効率が良かったんだよ」と話すのは阿賀野川漁協の村山賢二組合長だ。「未来にどのような形で阿賀野川を引き継いでいくか。川の恩恵を知る最後の世代として、その道筋を示していきたい」という。魚影も薄くなり、組合員も減少、活動の財源となる収益も厳しい状況で、マイナス材料を数えればきりがない。その逆風を帆掛け船のように推進力に変えて「賑やかな河川」を取り戻そうと、村山組合長は漁協の体制改革や新規事業計画立案など様々な改革案で舵を取る「阿賀野川漁協の船頭」として辣腕(らつわん)を振るっている。

観光客を乗せて阿賀野川を遊覧するイザベラバード号
帆掛け船が行き交う時代を伝えるモニュメント

ビジネスプラン作成し稼ぐ漁協へ

「昭和20年代後半が漁協にとっての黄金期ですね」と村山組合長は振り返る。まだダムや頭首工が無かったころはサケやマスが豊富に捕れる豊かな漁場だった。漁師の番屋が十数軒建っていたという。1シーズンで家が建つほどの収入が得られ、芸者を呼んで派手に宴会を開くほどだったという。

 高度成長期に入ると全国トップクラスの水量を誇る阿賀野川には水力発電ダムや頭首工が建設され国内産業の発展に大きく貢献した。だが一方で、サケやマスは容易に遡上できなくなり、次第に魚影は薄くなっていった。漁協設立当初に1600名いた組合員数も今では約700名ほどの半数弱になった。

 現在、阿賀野川は福島との県境から河口まで約90キロを阿賀野川漁協を含めて各地域ごとに4つの漁協で共同管理している。同漁協事務所は河口から約35キロほど福島方面に進んだ国道49号線沿いにある道の駅「阿賀の里」内にある。建物の裏手には阿賀野川が流れる。その「地の利」を活かす事業計画を村山組合長は描いている。

道の駅「阿賀の里」。地域の特産品を購入したり食事も楽しめる
阿賀野川漁協の事務所がある建物は街道筋の宿場のような雰囲気を演出している
阿賀野川を見ながら事業計画を説明する村山組合長

「組合員費など従来の収入だけで活動の幅を広げていくのは難しい。そこで、阿賀野川の恵みを活かした加工品や特産品づくりを阿賀の里と共同で2年前から試験的に取り組んでいる」と村山組合長は加工品を軸とした事業展開を説明する。阿賀町が阿賀の里で開いた産業祭に出店して、川ガニや鮭の塩引きや味噌漬け、特製イクラなどを訪れた客にふるまった。阿賀の里との共同事業計画には多くの相乗効果が期待できると村山組合長は考えている。

 漁協にとって財源が厳しいなか、新規事業のインフラ設備に投資する余裕はない。阿賀の里が持っている食品衛生法の基準を満たした食品加工施設で加工品を開発して阿賀の里で販売すればお互いにとって利点がある。阿賀の里にとっては「川魚のプロ」である漁協と共同開発した商品は魅力があり、集客力を持つ特産品に育つ可能性もある。漁協と道の駅が持っている既存の資産をうまく活用しながら初期投資を抑えて生産から販売まで連携する事業で、漁協の新しい収入源として村山組合長は期待する。

新規事業を円滑に進めるために村山組合長の改革は漁協の体制にも及んだ。「漁協には管理委員会と増殖委員会のふたつがある。増殖委員会は魚を増やすだけでなく、育てた魚を売るために販路まで考える実践的な『稼げる組織』の事業部にして、管理委員会に川の全体的な管理を担ってもらう組織に今年から改変する予定になっている」と話す。そうすることで組織全体に改革意識を浸透させたいという。

 また、村山組合長は「川魚のプロ」と「営業のプロ」がより実践的に漁協内で連携する構想も描く。「魚を捕るのは専門家だが、加工して売るというような営業は漁業関係者の苦手な部分でもある。そこで、組合員外理事を設けて営業経験がある人を登用したいと思っている」と、事業計画を加速させる人材確保も検討中だ。新規事業担当の職員を漁協で雇用するのは大変だが、経験豊かな定年退職した人材に声を掛けて、人件費の負担を抑えつつ活躍してもらうことも考えている。

 組合長の「舵取り」はまだ続く。さまざまな実践的な改革を進める村山組合長のアイデアは「稼ぐ」事業だけでなく、川の魅力を多くの人たちに伝える「魅せる」事業へと広がっている。

川の魅力を次世代へ伝える事業展開を模索

漁協の事務所がある道の駅「阿賀の里」のすぐ裏手に阿賀野川の景色を船上から楽しめる遊覧船の船着き場があり、英国人旅行家・バード氏の名が船名になっている遊覧船が運航している。

 「運航している遊覧船以外にも使っていない遊覧船がある。それを改良して自然教育探査船のようなものを運航したいと思っているんです」と村山組合長は休眠している遊覧船をうまく活用しながら川の魅力を子供たちに伝える事業を模索している。「小学生に船に乗ってもらい、組合員が同乗して川のことや魚や周辺の植物や動物のことを説明しながら船上で子供たちに自然学習してもらうんです」と計画は具体的だ。

阿賀の里の裏手にある遊覧船乗り場

遊覧船に乗船した子供たちはきっと阿賀野川に興味を持ち、楽しんでもらえると過去の体験から村山組合長は確信を持っている。「少年野球チームの監督をしていた時に、子供たちと延縄(はえなわ)漁をやったんです。延縄を仕掛けて翌日の朝、延縄を上げに行くんですけど、子供たちも楽しみにしていて、いつもは寝坊ばかりしている子供も朝早起きするんですよ。10本ほど釣り針を仕掛けるとすべての針にかかっていてね。ギギが多くて、他にもイワナやアユ、ウグイやハヤも釣れている。子供たちは大喜びですよ。そういうようなことを沢山できれば、子供たちの川に対する見方もどんどん変わってくると思うんですよ」と子供に対する事業の必要性を協調する。

 現在、資料を作成して運航を担う阿賀の里や行政に自然教育探査船の構想を説明しながら実現に向けて動き始めている。地元や新潟市内の小学校に声を掛けて自然教育授業のカリキュラムになれば、子供たちに貴重な体験を提供しながら、道の駅や漁協の安定した収益につなげることができる。「漁協は利益だけを求める組織ではない」と言い切る村山組合長の「ウィンウィン」の発想は事業理念の核とも言える。

子供時代に体感した川への想いが改革の原動力に

 だが、新規事業を立ち上げにはいろいろなハードルがあるのも事実だ。阿賀野川は4つの漁協で共同管理している。新しい事業を始めるには各漁協の賛意を得て、全体の総意としてまとめる必要がある。それぞれの地域を担当する漁協で事情や考え方が異なることもあり、新規事業がなかなか前に進まないこともある。それでも村山組合長は「これからは川の豊かさを知らない世代の時代になる。川の豊かさを知る我々が魅力ある川を残すために明確なレールを敷いておく必要がある」と力強く語る。

 「私が子供のころは川が遊び場だったんですよ」と話すのは藤田正明副組合長。藤田副組合長も「豊かな川を知る世代」として村山組合長と共に改革に汗を流している。「プールがない時代だがら川で泳ぐのが当たり前だった。河川敷もとても綺麗で家から川まで裸足で行けたんですよ。小さな花を咲かす植物やクローバーが一面にあって素晴らしく景観が良かった。今でもその風景は忘れられない。木を早めに伐採したり管理を適切にすれば景観を改善できるのではないかと関係機関に意見したりもしているんです」と話す。
 藤田副組合長が育った地域は質の良いサケが捕れてブランドになったり、ヤマトシジミも沢山採れて高値で取引され「シジミで御殿が建つ」ほどだったという。

 「川が昔に戻ることはまずないが、各地域の組合員の声を集めながら行政に対して必要なことを伝えていくつもり。国交省でも阿賀野川の支流で親子が安心して川遊びができるように整備しようという動きも出てきている。私も子供たちをよく川に連れて行って一緒に遊んだ。そのような親子で楽しめる川になってくれれば良いなと思う」と藤田副組合長も村山組合長と共に魅力ある川を取り戻そうと行政などに積極的に働きかけている。

写真を示しながら阿賀野川について説明する藤田副組合長

 ほかにも、漁協は「阿賀野川を遊ぶ、見る」だけでなく「食べる」イベントも積極的に行っている。
 「鮭に学び鮭を味わおう」と題して鮭の塩引き教室を開き、多くの参加者を集めて評判になっている。教室では組合員が講師となり、鮭のはらわたを取り除くなどの下処理から塩をすり込んで干すところまで実践的な体験ができる。また、阿賀野川のことを学びながら鮭の切り身が入った鍋やイクラご飯を味わうこともでき、10年以上続く人気イベントになっている。基本的には大人が対象だが、過去2回、親子を対象にしたときは予想を大きく上回る参加者で「満員御礼」状態だったという。「鮭料理は子供たちは大好きですからね。サケは川を離れても故郷に帰ってくるでしょ。同じように地域を離れた子供たちもいつか郷愁を感じて戻って来てくれたら嬉しい」と村山組合長は笑顔を見せる。

 川の恵みを食べることは暮らしの一部だったと村山組合長は言う。「父親はサケのえらも塩引きにして火であぶって食べていた。内臓だって味噌汁にしたり、サケは捨てるところがない。保存食にもなる。私たちにとって冬を越すための重要なたんぱく源だったんですよ」と話し、「食べる」企画の重要性を説く。

 村山組合長と藤田副組合長に大好きな川魚料理を聞くと、子供時代から親しんだ思い出の味を挙げる。「イワナの刺身ですね。子供のころからよく食卓に上がっていたんですよ。癖がなく臭みがなく、身が締まっていて本当においしいですよ」と村山組合長は事業計画の説明をしている厳しい表情から一転、顔をほころばせながら話す。

 藤田副組合長は「今は希少になってしまいましたが、ヤツメウナギですね。炭火で焼くと脂がしたたり落ちてきて、それを熱いうちに食べると本当においしいですよ。忘れられない味ですよ。サクラマスの炭火焼も美味しい。数が減ってきているけど、増やしていきたい」と増殖にも意欲を見せながら笑う。

漁協が描く過去と未来を繋ぐ航路

「川には特別な想いがある。子供のころから泳いだり魚を捕ったりすることは普通のことだった。川に対する愛着は人一倍ある。ただ、ノスタルジーだけではこれからは駄目なので、川をどういう方向で次の世代に渡すのかを明確にしておきたい」と村山組合長は言う。

 例えば、日本経済の高度成長を支えたダムの運用規定についても「これからは川への負担を減らせるような見直しも必要ではないか」と説く。多くの行政区分にまたがるダムの運用見直しはいろいろなハードルもあり難しい側面もある。だが、「できる限りのことをやっていきたい」と村山組合長は強く決意する。

 明治時代に阿賀野川を旅したバード氏はたおやかに流れる大河から見た美しい風景に感嘆した。その風景はもう戻らないかもしれない。それでも、魅力ある川を残そうと村山組合長が舵を取る漁協は逆風のなか、未来に向けてはっきりとした航路を示そうと奮闘している。

道の駅「阿賀の里」近くにある「将軍杉」。樹齢1400年で日本一の太さを誇る。
この巨木を切って船を造ろうとしたところ一夜にして地面に沈んだという伝説が残る

阿賀野川漁業協同組合管内の遊漁情報などは以下の阿賀野川漁協HPでご確認下さい。

阿賀野川漁業協同組合 – 鮎釣り、鮭釣り、稚魚放流と漁場を守る

【阿賀町に来たらこれ食べなっせ

●村山組合長のオススメ

「ブナの宿 小会瀬の蕎麦」

蕎麦と料理 | 【公式サイト】小会瀬 -御神楽温泉 ブナの森に囲まれた一軒宿-

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