渓流にサクラマスが遡るということ〜EGOIST大嶋〜

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はじめに
海に降りたヤマメが数年の海洋生活を経て回帰するとサクラマスと呼び名が変わること、また、サクラマスは出会うことがとても難しい存在であることも、良く知られるところではないでしょうか。ただでさえ出会うのが難しいとされるサクラマスに、さらに上流域の小規模なフィールドである渓流で出会えるケースはとても稀です。
しかし今回、そんな稀有な幸運に出くわした私の友人の体験談を聞き思うことがありレポートさせていただこうと筆を執らせていただきました。
渓流のサクラマス

陸封型であるヤマメが降海し、遙か北方の海へ数年の回遊生活を経て、生まれ故郷の川へ回帰してきたものがサクラマスである(サクラマスの陸封型がヤマメであるというのが最適な表現であり、ヤマメの降海型がサクラマスであるというのとは同義ではないとのこと)ことは、先にも述べさせていただいた通り周知の事実でしょう。
陸封型、つまり河川残留型のヤマメが、大きくても生涯30cmほどにしかならないのに比べ、大海原をわたる間に豊富な餌を摂ってきたサクラマスは、時に60cmをはるかに超えるまでに成長します。何故ヤマメという種がそういう生態なのかは既に多くの媒体で語られておりますので、今回細目は置きますが、その巨躯はアングラーの憧れそのものであることは、今、殊更に言うまでもないでしょう。
九頭龍川サクラマス

福井県を代表する大河『九頭龍川(その名の由来に敬意を表し、竜ではなくあえて龍の字をあてたいと思います)』は、ご存知の通りサクラマスを遊漁できるフィールドとして全国に名を馳せておりますが、その釣獲率の低さ、釣ることの難しさもアングラーの間では既知の事実であります。
サクラマスに限らず、浅瀬にいる魚が一番警戒するのは上空であり、彼らを狙う鳥類であるというのは、優れた渓流師なら周知の事実。ただでさえ出逢う確率が低いサクラマスが、水量も乏しく水深もごく浅い渓流域まで身の危険を顧みず遡上してくる意味は言うまでもないでしょう。
また、そういった危険以外にも数多の障害が彼らの往く手を阻みます。崩落などで巨岩が流れを阻害し絶望的な高低差が生じてしまうこともありますし、堰堤などといった人工物が立ちはだかることも少なくありません。それでも、彼らは上流を目指します。それが彼らの本能であり、生きる目的なのです。
今回、友人が図らずも出逢ったサクラマスは、川幅数メートルの小渓流の、とある堰堤を超えたところにある深みで一休みしていた個体だったようです。
私が知る限り、そこまで遡ってくるには数えきれないほどの難関をクリアせねばならないはずです。つまりは、その魚がそこに辿り着き得たこと、そして友人がその個体と出逢えたことは、幸運と偶然とが凝縮したような、まさに奇跡的な、極めて奇遇な出来事であったと言えると思います。
余談ですが、サクラマスに詳しい漁協の組合員に訊いても、毎年数えるほどしか上流域に達し得ないようです。
河川の連続性
皆さんは『(河川の)連続性』という言葉をお聞ききになったことがあるでしょうか。
要するに(河川の)連続性とは、海と河川上流域の間において魚類などの往き来が阻害されているかどうかを指す言葉なのですが、現実的には、河岸崩落など自然的なものは仕方ないとしても、大きな人工物などによる遮断が各所で散見されるのが実情でしょう。とはいえ、釣人やそこに棲む生き物たちにとっては障害でしかないとする見方の一方で、地域住民などヒトの営みに大きく貢献しているものであるという見方ができる場合も少なくありません。生態系の貴重さを訴えたところで、文明的生活に貢献しているものであれば即座に取り除くことも早晩に適うべくもないという、とても難しい問題を常に我々は抱えているといっても過言ではないでしょう。そういった難しい状況、環境にあっても、魚たちは流れを行き来し、命を繋ぎ、時たま我々釣人に癒しをもたらしてくれるのです。
さいごに
最後になりますが、私は彼是の是非云々よりも、我々釣人くらいはせめて、魚たちの逞しさ、儚さに想いを馳せ、慈しみと行動を表現すべきではないか、と切に思うのです。
始まったばかりの2021シーズンですが、皆さんも斯様な事々にも思いを馳せつつ釣りという遊びを楽しまれてはいかがでしょうか。
Report by 〜EGOIST大嶋〜
ライター紹介

EGOIST 大嶋 信慈
・ハンドメイドプラグやウッドケースなどの周辺商材を製作販売。
・EGOISTic River Guide & School(RGS)
EGOISTホームページhttp://egoistlures.com/

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