十和田湖ヒメマス誕生物語〜歴史編〜

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十和田湖は、ヒメマスの釣りスポットとして有名ですが、かつては魚が棲まない湖でした。その十和田湖で養殖漁業を始め、人工孵化場を作り、ヒメマスの養殖に成功した「和井内貞行」についてまとめた動画です。
和井内貞行とは
和井内 貞行(わいない さだゆき)は安政5年2月15日(1858年)生まれ。

画像提供:小坂町
生い立ち
安政5年(1858年)当時の盛岡藩鹿角郡毛馬内村柏崎(現在は鹿角市)に、和井内貞行は生まれました。
引用:十和田湖国立公園協会「十和田湖と和井内貞行」より引用
和井内家は藩の重臣で毛馬内柏崎新城の城代であった桜庭家の筆頭家老職を勤める家柄でありました。
明治7年(1874年)、17歳で毛馬内学校(現在の鹿角市十和田小学校)に教員手伝いとして奉職しました。
明治14年(1881年)、24歳の時には工部省小坂鉱山寮の吏員として就職、官営十輪田鉱山は明治5年(1972年)から数年間で休山となり、明治14年になって、銀山が再開発されます。明治17年9月には、小坂鉱山とともに、藤田組(現在の同和鉱業)に払い下げとなり、同時に貞行も藤田組の社員に身分が代わることになりました。この年、27歳の貞行は、初めて養殖漁業に乗り出す決心をするのです。

藤田組時代の十輪田銀山製錬所(明治20年頃)
画像提供:小坂町
養殖漁業着手
かつて、魚一匹棲まなかった十和田湖に、鉱山で働く人たちへの食糧調達のため養殖を始めましたが、何度も失敗し辛抱強く研究を重ねました。
十和田湖の生息魚介類
火山火口にできたカルデラ湖であるため、人間が魚の放流を開始する以前に生息していた魚介類はサワガニのみと考えられている。従って、現在生息している魚類の全てが人為放流された物である
引用:Wikipedia(引用)
明治30年(1897)、十和田湖畔に旅館「蜃気楼」を創業し、人工孵化場を建設しました。

和井内鱒孵化場(明治末期から大正初期頃)
画像提供:小坂町

明治35年(1902)に北海道の支笏湖からヒメマスの発眼卵を譲り受け、翌年に稚魚を放流しました。

明治38年(1905)に、ヒメマスの群れが湖岸に帰って来て、ついにヒメマスの増殖に成功したのでした。


画像提供:ちがし様(ちがしの情報発信基地)
遊漁情報
岸釣り(遊漁券):1,000円/日
オンライン遊漁券(フィッシュパス)販売予定(9/29)

購入は↑アイコンをクリックか、こちら。
船釣り:2,000円/日
*注意:船釣り券は漁協事務所にて登録購入ください。
遊漁エリア

遊漁期間

遊漁規則
十和田湖増殖漁業協同組合農内共第1号 第5種共同漁業権遊漁規則
注意:1人1日当たりの採捕尾数20匹(サクラマスとの合わせて)まで(その他詳細は遊漁規則参照)。
十和田湖増殖漁業協同組合HP
ホームページ(こちら)
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