【書籍紹介】『川釣り』井伏鱒二(著)

目次
Toggle文学者でもあり川釣りの名手である井伏鱒二(いぶせ ますじ)の、伊豆や甲州でのアユ、ヤマメ、そしてアブラハヤ釣りを随筆と短編小説にまとめたもの。
井伏鱒二(いぶせますじ)とは
広島県福山市生まれ(1898-1993)の文学者で、代表作に高校の現代文でおなじみの『山椒魚』はじめ、『ジョン万次郎漂流記』、『本日休診』、『黒い雨』がある。無類の釣り好きで、本書のような釣りに関する著書も多くある。
内容
本書は1952年(昭和27年)に岩波新書から刊行された。内容は戦後に書いた釣りに関する随筆や感想や紀行文などを書いたものである。主な舞台として鮎釣りでは、伊豆の河津川、相模川、笛吹川など、ヤマメ釣りでは狩野川、富士川の支流の釜無川や下部川となっている。*現在は、いずれの川もアマゴ生息域であるが、本書ではアマゴではなくヤマメとされている。
佐藤垢石(こうせき)談義
佐藤垢石(本名:亀吉)は、明治-大正時代の職業漁師の友釣りの技から道具までを網羅した近代友釣り初の教書『鮎の友釣り』(1934年/萬有社)を上梓した。また雑誌『釣り人』の初代編集者として、戦後初の鮎釣り本『鮎釣』(昭和1946年/つり人社)を発刊し、狩野川の漁師が広めた近代友釣りスタイルを世に広めた。本書では、作者が釣りの師匠である垢石翁から、糸の結び方、針の結び方、鼻環の付け方、竿の持ち方、たも網の使い方などを教えてもらったエピソードがある。佐藤垢石とのやり取りで、「おい井伏や、釣りは文学と同じだ。教わりたてはよく釣れるが、自分で工夫をこらして行くにつれて、だんだん釣れないようになる。それを押しきって、まだ工夫をこらして行くと、だんだん釣れるようになる。それまでに、十年かかる。先ず、山川草木にとけこまなくっちゃいけねえ。」
当時の佐藤垢石翁の写真 出展:『鮎友釣りの歴史』つり人社
ワサビ盗人
ワサビ盗人の章では、狩野川の支流大見川において、ヤマメ釣りをしている際にワサビ泥棒と出くわしたエピソード。天城山麓は日本屈指のワサビの生産地であり、この地域原産のワサビは当時においても1本時価500円もする効果なものだった。ワサビ栽培に適する清澄きわまる冷たい水の流れる渓流には、ヤマメが棲息している。地元の知人とヤマメ釣りに出かけると、そこにワサビ泥棒と遭遇し、村の消防団員と協力して捕まえるまでの顛末が書かれている。最後にワサビ泥棒が言った言葉「ちかごろ、ワサビの値が高いから悪いんだ。ヤマメなんかも値が高すぎるから、川に毒流しする奴があるんだ」とある。
手習草子
章内の不漁雑記では、作者が全く魚が釣れなくなるというスランプに陥る。自分は釣り師の資格がないと痛感するほどであった。アユの解禁時に、河津川に出かけても釣れず、すぐに日を改めて、相模川に行っても全く釣れない。スランプという言葉では収まらなくなり、無理に雨の日に出かけたが、そこで足を滑らして、冷やしていた牛乳を川に撒き散らしてしまった。そこから脱出するために、アイザック・ウォルトンの『釣魚大全』を読み返したところ、”樟脳(しょうのう:クスノキの香り成分を結晶化したもので、水に溶けない)”を餌に振りかけるとよく釣れるとあったので、アブラハヤで試したが釣れなかった。あまりに釣れなくて、釣りを見学していた旅行客に「下手くそ」と冷やかしにあうなど踏んだり蹴ったりの経験をする。
毒流し
河川情況の章では、3月1日の待望のヤマメ解禁だったが、作者の行く川が毒流しと密漁の被害を受けたこと。それによって荒らされていない川はどこか、地形的にこの川だったら大丈夫だろうという予想を立てている章である。中でも、当時、早川漁業協同組合が発足したおかげで、管理者の元、早川は毒流しや密漁の被害から免れるだろうという記載もある。
白毛
白毛の章では、竿やハリスはあるがテグスを忘れた釣り人2人組に出くわした話。その不貞の輩が、テグスを忘れ釣りができないことの代用品として、たまたま川で会った作者を羽交い締めにし、抵抗するも無理やり白髪を30本抜かれたこと。その事件以来、作者はその川を遠ざけるようになり、その川を思い出すだけでハラワタが煮えくりかえるという辛い思い出話である。
『川釣り』井伏鱒二(著)1952年,岩波文庫560円(税別)
『鮎友釣りの歴史』吉原孝利・鈴木康友2014年,つり人社2,000円(税別)
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